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31件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2018-02-19 第196回国会 衆議院 予算委員会 第13号

そうした中、国土交通省は、北海道の大樹町で、いわゆるペンシルロケットと並んで町をにぎわしている地域でございますけれども、ここで、雪道での、積雪寒冷地域での自動運転の走行の実証実験をスタートされました。また、北海道中央部を走る高速道路道央道におきましては、除雪車自動運転化に向けまして、準天頂衛星を活用した運転サポート除雪車試験運転も開始をされたところでございます。  

佐藤英道

2016-10-26 第192回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

一九五五年の糸川博士ペンシルロケットに始まり、日本は一九七〇年、ソ連アメリカ、フランスに続いて、世界で四番目に、日本初人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功しました。その後も、静止気象衛星「ひまわり」や小惑星探査機「はやぶさ」など、日本宇宙開発技術は進化を続け、国際宇宙ステーションでは多くの日本宇宙飛行士が活躍をしています。

牧島かれん

2012-06-20 第180回国会 参議院 内閣委員会 第12号

委員からも御指摘がございましたが、我が国宇宙開発利用は、一九五五年の糸川先生ペンシルロケットに始まって、半世紀余りにわたって大変な皆さん方の御努力の中で取組が行われてまいりました。その結果は着実に成果を上げておりまして、現在では宇宙先進国の一員としての地位を占めているというふうに考えております。  

古川元久

2006-03-22 第164回国会 参議院 内閣委員会 第4号

小さなころ印象に残っていることがございまして、日本ペンシルロケットを打ち上げしたと。小さな、もうおもちゃみたいなものです。もう鮮烈に覚えています。と同時に、当時のソ連がスプートニクスを打ち上げた、人工衛星ですね。それからガガーリン少佐有人飛行をやったと。鮮烈に覚えていますし、また後年、アメリカが月に着陸したということも大変衝撃的でございました。  

白浜一良

2005-07-12 第162回国会 参議院 外交防衛委員会 第18号

日本は一九五五年にペンシルロケット発射を行いました。今年でちょうど五十年になります。その後、一九七〇年にラムダロケット、これは固体ロケットですが、これで人工衛星を打ち上げに成功しました。世界で四番目の打ち上げということです。  これは、人工衛星を打ち上げたということは、地球上のどこにでも飛ばせる能力を実証したということになります。

西山淳一

2002-12-05 第155回国会 参議院 文教科学委員会 第8号

先生指摘糸川先生ペンシルロケット実験を打ち上げたということが原点になって、昭和三十年に東京大学科学衛星研究やその打ち上げのための、先ほどお話にありました中・小型の固体燃料ロケット研究開発の進展に伴い、三十九年に東京大学宇宙研究所が設置されております。後に、昭和五十六年に大学共同利用機関となって現代に至っておるわけでございますが。  

渡海紀三朗

2001-03-02 第151回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

私も小さいころは科学少年でありまして、糸川先生ペンシルロケットのころのお話などを聞くと、大変夢を持って子供のころを過ごした記憶があるわけでありますが、最近はどうもロケットの打ち上げが相次いで失敗をしているということを聞きますと、日本技術科学、相当世界を引っ張るようなものでありながら、どうしちゃったんだろうというふうな気がするわけでございまして、ぜひ、夢は、やはり成功し続けて夢がはぐくまれるというところもあるわけでございまして

都築譲

2000-11-02 第150回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

糸川ロケット博士も、ペンシルロケットをつくる前はインドに留学というか、インドでいろいろ研究をされて、それを持って帰ってこられて、現在の日本ロケット生産が始まったということもあるくらいでございまして、その面ではインド先進国である。しかも、中間層が非常に大きい規模で育ちつつあるというところでございますから、今後とも日本インドに注目しなければならない。

塩田晋

2000-03-14 第147回国会 衆議院 科学技術委員会 第2号

工藤政府参考人 御案内のとおり、宇宙科学研究所ロケットは、ペンシルロケット以来、全段固体燃料型で、こつこつとここまで研究者の方々が、内外のいろいろな研究実績を踏まえつつ、蓄積してまいったところでございまして、しかも今回搭載いたしましたM5ロケットのグラファイトにつきましても、これまで二度成功していることもありまして、それに安心したわけじゃございませんけれども、昨年のH2ロケット失敗を受けて、さらに

工藤智規

2000-02-22 第147回国会 参議院 文教・科学委員会 第1号

岩瀬良三君 私の若いころ、東京大学研究所時代でしょうけれども、糸川博士ペンシルロケット宇宙に飛ばしたということで、みんな若い人の興味と関心を呼んだのをまだ覚えておるわけでございます。その後、こういう研究者皆さん努力によって世界と肩を並べるまでの宇宙技術を持ってきているんだろうと思うわけでございます。  

岩瀬良三

1999-02-09 第145回国会 衆議院 科学技術委員会 第2号

昭和三十年に日本で初めてペンシルロケットが打ち上げられてから相当になるわけでございまして、財政事情厳しい中でやりくりしながら、欧米諸国に比べますと随分少ない予算で、かなり効率的といいましょうか、画期的な成果も上げながら研究者は頑張っているわけでございますので、今後の日本宇宙科学の振興のためにさらなる努力を続けてまいりたいと思っております。今後とも御指導よろしくお願いいたします。

工藤智規

1998-05-22 第142回国会 衆議院 科学技術委員会 第12号

谷垣国務大臣 今先生がおっしゃったように、昭和三十年に糸川先生を中心としてペンシルロケット我が国宇宙開発の第一歩として最初に打ち上げられましたとき、私は小学校四年生であったのではないかと思います。大変胸をとどろかせてそのニュースを耳にしたことを今でも思い出すわけでございます。  

谷垣禎一

1998-05-22 第142回国会 衆議院 科学技術委員会 第12号

確かに、先ほど大臣からもお話ございましたように、昭和三十年に糸川先生ペンシルロケットをつくられたというのは非常に先見の明があったことでございますが、その後、大学でございますので、開発はそう急速に進むということではございませんでした。  そこで、政府は、昭和四十四年に宇宙開発事業団を設置いたしまして、本格的な宇宙開発を行おうということを決められたわけでございます。

内田勇夫

1998-05-22 第142回国会 衆議院 科学技術委員会 第12号

我が国ペンシルロケット発射試験が初めて行われたのは昭和三十年であり、新聞にも大きく報道されました。しかし、当時この評価もまちまちで、一方では、こんな子供遊びのようなロケットでいつアメリカのような技術に追いつくのか、むだ金遣いだけになるのではないか、あるいは、その費用でアメリカロケットを利用していった方がよいのではないかという意見もありました。

菅原喜重郎

1997-11-06 第141回国会 衆議院 科学技術委員会 第2号

宇宙開発というのは、我が国にとって、昭和三十年代に東大宇宙研糸川英夫先生によるペンシルロケットというものが我が国ロケット技術宇宙開発のスタートということが言われておったわけであります。その後、格段の進歩が我が国の場合遂げられて、そして、今やHⅡロケット世界トップレベルに達しておるのではないかというようなことが言われておるわけであります。

奥山茂彦

1995-02-21 第132回国会 衆議院 科学技術委員会 第3号

私の感じといたしましては、宇宙研ペンシルロケット以来の長い歴史をお持ちでございまして、科学探査の面で非常に高い業績をいろいろ上げていらっしゃる。事業団の方は、いわゆる実利用の方面で非常にたくさんよい成果を上げてこられた。ということは、現在のその二本立てでやっていらっしゃるシステムが、少なくとも今までのところは非常にうまく機能してきたのではないかというふうに考えております。  

前田弘

1989-06-21 第114回国会 参議院 外務委員会 第6号

日本におきましては、昭和三十年、初めて、当時の東京大学生産技術研究所ペンシルロケットと言われております小さなロケット実験成功されまして、これが宇宙開発日本における始まりと言われているわけでございますが、その後、東京大学から現在の文部省宇宙科学研究所になりまして、いわゆる科学衛星分野では十六個の科学衛星、それから例のハレーすい星探査などをいたしました、いわゆるこれは人工惑星でございます、惑星探査機二個

園山重道

1984-04-05 第101回国会 衆議院 科学技術委員会 第8号

それに対して、日本はどういうテンポでこの問題に取り組んできたかということを申し上げますと、御存じのように一九五五年、今から約三十年前になりますけれども、私どもの先輩の糸川教授ペンシルロケットをつくりました。ペンシルロケットというのは、長さが二十何センチぐらいの、まさに鉛筆のようなロケットであります。そのロケットは上に飛ぶのではなくて、国分寺の射撃場で横に飛ばしたという有名な話がございます。

大林辰蔵

1981-04-07 第94回国会 参議院 文教委員会 第5号

この東京大学付置宇宙航空研究所につきましては、御存じのように、昭和二十年代終わりであったと思いますが、いわゆるペンシルロケットから始まりまして、その後国際地球観測年におきましてロケットの打ち上げ等を行い、順次宇宙科学を発展さしてまいりまして、現在科学衛星を打ち上げ、あるいは大気球による観測、その他一般の観測用ロケットによる観測等宇宙科学の推進をしてまいっております。

松浦泰次郎

1981-03-25 第94回国会 衆議院 文教委員会 第6号

ただ、ロケット関係につきましては、御存じのように東大宇宙航空研究所、これは前身の時代でございますけれども、いわゆるペンシルロケットからロケット研究を始めまして、それから国際地球観測年に当たりまして、ロケットによる観測を始めるというようなことから発展しまして今日に至っている次第でございます。  

松浦泰次郎

1981-03-25 第94回国会 衆議院 文教委員会 第6号

小杉委員 東大宇宙航空研究所は、三十年にペンシルロケットを打ち上げて以来、いろいろなロケットを打ち上げてまいりましたけれども、いままでの実績をひとつお答えいただきたいと思います。  そしてあわせて、宇宙開発事業団昭和四十四年に発足以来、人工衛星を幾つか打ち上げておりますけれども、その成功、不成功、その実績をそれぞれお答えいただきたいと思うのです。

小杉隆

1977-05-20 第80回国会 衆議院 外務委員会 第19号

それはペンシルロケットという本当に小さな、手の指に乗るようなロケットを打ち上げるところから始めて、見る見る追いついたという経歴があります。それは実際には大型も打ち上げなければならぬけれども、研究開発費の差というのはもう大変なものだ、日本の場合には。ロケットでは日本式のやり方は少なくとも成功したのです。

渡部一郎

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