2018-02-19 第196回国会 衆議院 予算委員会 第13号
そうした中、国土交通省は、北海道の大樹町で、いわゆるペンシルロケットと並んで町をにぎわしている地域でございますけれども、ここで、雪道での、積雪寒冷地域での自動運転の走行の実証実験をスタートされました。また、北海道の中央部を走る高速道路、道央道におきましては、除雪車の自動運転化に向けまして、準天頂衛星を活用した運転サポート除雪車の試験運転も開始をされたところでございます。
そうした中、国土交通省は、北海道の大樹町で、いわゆるペンシルロケットと並んで町をにぎわしている地域でございますけれども、ここで、雪道での、積雪寒冷地域での自動運転の走行の実証実験をスタートされました。また、北海道の中央部を走る高速道路、道央道におきましては、除雪車の自動運転化に向けまして、準天頂衛星を活用した運転サポート除雪車の試験運転も開始をされたところでございます。
一九五五年の糸川博士のペンシルロケットに始まり、日本は一九七〇年、ソ連、アメリカ、フランスに続いて、世界で四番目に、日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功しました。その後も、静止気象衛星「ひまわり」や小惑星探査機「はやぶさ」など、日本の宇宙開発技術は進化を続け、国際宇宙ステーションでは多くの日本宇宙飛行士が活躍をしています。
○国務大臣(古川元久君) 我が国におきましては、昭和三十年のペンシルロケットの実験を端緒といたしまして、約半世紀にわたって宇宙開発、これはどちらかといえばやっぱり官主導でやってきたんですね、日本の場合、まあ諸外国もそうですけれども。
今委員からも御指摘がございましたが、我が国の宇宙開発利用は、一九五五年の糸川先生のペンシルロケットに始まって、半世紀余りにわたって大変な皆さん方の御努力の中で取組が行われてまいりました。その結果は着実に成果を上げておりまして、現在では宇宙先進国の一員としての地位を占めているというふうに考えております。
御指摘のように、昭和三十年にペンシルロケットを初めて発射して、それから私たちのこの国の事業が始まったわけですけれども、そのころは既に米国では月面有人着陸に成功しておりますし、我が国の宇宙開発はその時点で大きくおくれて出発をしたということであります。
小さなころ印象に残っていることがございまして、日本がペンシルロケットを打ち上げしたと。小さな、もうおもちゃみたいなものです。もう鮮烈に覚えています。と同時に、当時のソ連がスプートニクスを打ち上げた、人工衛星ですね。それからガガーリン少佐が有人飛行をやったと。鮮烈に覚えていますし、また後年、アメリカが月に着陸したということも大変衝撃的でございました。
日本は一九五五年にペンシルロケットの発射を行いました。今年でちょうど五十年になります。その後、一九七〇年にラムダロケット、これは固体のロケットですが、これで人工衛星を打ち上げに成功しました。世界で四番目の打ち上げということです。 これは、人工衛星を打ち上げたということは、地球上のどこにでも飛ばせる能力を実証したということになります。
先生御指摘の糸川先生がペンシルロケットの実験を打ち上げたということが原点になって、昭和三十年に東京大学の科学衛星研究やその打ち上げのための、先ほどお話にありました中・小型の固体燃料ロケット研究開発の進展に伴い、三十九年に東京大学の宇宙研究所が設置されております。後に、昭和五十六年に大学共同利用機関となって現代に至っておるわけでございますが。
私も小さいころは科学少年でありまして、糸川先生のペンシルロケットのころのお話などを聞くと、大変夢を持って子供のころを過ごした記憶があるわけでありますが、最近はどうもロケットの打ち上げが相次いで失敗をしているということを聞きますと、日本の技術、科学、相当世界を引っ張るようなものでありながら、どうしちゃったんだろうというふうな気がするわけでございまして、ぜひ、夢は、やはり成功し続けて夢がはぐくまれるというところもあるわけでございまして
糸川ロケット博士も、ペンシルロケットをつくる前はインドに留学というか、インドでいろいろ研究をされて、それを持って帰ってこられて、現在の日本のロケットが生産が始まったということもあるくらいでございまして、その面ではインドは先進国である。しかも、中間層が非常に大きい規模で育ちつつあるというところでございますから、今後とも日本はインドに注目しなければならない。
○工藤政府参考人 御案内のとおり、宇宙科学研究所のロケットは、ペンシルロケット以来、全段固体燃料型で、こつこつとここまで研究者の方々が、内外のいろいろな研究実績を踏まえつつ、蓄積してまいったところでございまして、しかも今回搭載いたしましたM5ロケットのグラファイトにつきましても、これまで二度成功していることもありまして、それに安心したわけじゃございませんけれども、昨年のH2ロケットの失敗を受けて、さらに
○岩瀬良三君 私の若いころ、東京大学の研究所時代でしょうけれども、糸川博士がペンシルロケットを宇宙に飛ばしたということで、みんな若い人の興味と関心を呼んだのをまだ覚えておるわけでございます。その後、こういう研究者の皆さんの努力によって世界と肩を並べるまでの宇宙技術を持ってきているんだろうと思うわけでございます。
昭和三十年に日本で初めてペンシルロケットが打ち上げられてから相当になるわけでございまして、財政事情厳しい中でやりくりしながら、欧米諸国に比べますと随分少ない予算で、かなり効率的といいましょうか、画期的な成果も上げながら研究者は頑張っているわけでございますので、今後の日本の宇宙科学の振興のためにさらなる努力を続けてまいりたいと思っております。今後とも御指導よろしくお願いいたします。
○谷垣国務大臣 今先生がおっしゃったように、昭和三十年に糸川先生を中心としてペンシルロケットが我が国の宇宙開発の第一歩として最初に打ち上げられましたとき、私は小学校四年生であったのではないかと思います。大変胸をとどろかせてそのニュースを耳にしたことを今でも思い出すわけでございます。
確かに、先ほど大臣からもお話ございましたように、昭和三十年に糸川先生がペンシルロケットをつくられたというのは非常に先見の明があったことでございますが、その後、大学でございますので、開発はそう急速に進むということではございませんでした。 そこで、政府は、昭和四十四年に宇宙開発事業団を設置いたしまして、本格的な宇宙開発を行おうということを決められたわけでございます。
我が国でペンシルロケットの発射試験が初めて行われたのは昭和三十年であり、新聞にも大きく報道されました。しかし、当時この評価もまちまちで、一方では、こんな子供遊びのようなロケットでいつアメリカのような技術に追いつくのか、むだ金遣いだけになるのではないか、あるいは、その費用でアメリカのロケットを利用していった方がよいのではないかという意見もありました。
宇宙開発というのは、我が国にとって、昭和三十年代に東大の宇宙研の糸川英夫先生によるペンシルロケットというものが我が国のロケット技術、宇宙開発のスタートということが言われておったわけであります。その後、格段の進歩が我が国の場合遂げられて、そして、今やHⅡロケットは世界のトップレベルに達しておるのではないかというようなことが言われておるわけであります。
私の感じといたしましては、宇宙研はペンシルロケット以来の長い歴史をお持ちでございまして、科学探査の面で非常に高い業績をいろいろ上げていらっしゃる。事業団の方は、いわゆる実利用の方面で非常にたくさんよい成果を上げてこられた。ということは、現在のその二本立てでやっていらっしゃるシステムが、少なくとも今までのところは非常にうまく機能してきたのではないかというふうに考えております。
日本におきましては、昭和三十年、初めて、当時の東京大学生産技術研究所がペンシルロケットと言われております小さなロケットの実験に成功されまして、これが宇宙開発の日本における始まりと言われているわけでございますが、その後、東京大学から現在の文部省宇宙科学研究所になりまして、いわゆる科学衛星分野では十六個の科学衛星、それから例のハレーすい星の探査などをいたしました、いわゆるこれは人工惑星でございます、惑星探査機二個
それに対して、日本はどういうテンポでこの問題に取り組んできたかということを申し上げますと、御存じのように一九五五年、今から約三十年前になりますけれども、私どもの先輩の糸川教授がペンシルロケットをつくりました。ペンシルロケットというのは、長さが二十何センチぐらいの、まさに鉛筆のようなロケットであります。そのロケットは上に飛ぶのではなくて、国分寺の射撃場で横に飛ばしたという有名な話がございます。
この東京大学付置の宇宙航空研究所につきましては、御存じのように、昭和二十年代終わりであったと思いますが、いわゆるペンシルロケットから始まりまして、その後国際地球観測年におきましてロケットの打ち上げ等を行い、順次宇宙科学を発展さしてまいりまして、現在科学衛星を打ち上げ、あるいは大気球による観測、その他一般の観測用ロケットによる観測等の宇宙科学の推進をしてまいっております。
○松浦(泰)政府委員 東大宇宙航空研究所におきましては、いま先生のお話がございましたように、三十年四月にペンシルロケットの試射をいたしました。それから三十三年の国際地球観測年にカッパ6型のロケットで初参加をいたしております。
ただ、ロケット関係につきましては、御存じのように東大の宇宙航空研究所、これは前身の時代でございますけれども、いわゆるペンシルロケットからロケットの研究を始めまして、それから国際地球観測年に当たりまして、ロケットによる観測を始めるというようなことから発展しまして今日に至っている次第でございます。
○小杉委員 東大宇宙航空研究所は、三十年にペンシルロケットを打ち上げて以来、いろいろなロケットを打ち上げてまいりましたけれども、いままでの実績をひとつお答えいただきたいと思います。 そしてあわせて、宇宙開発事業団が昭和四十四年に発足以来、人工衛星を幾つか打ち上げておりますけれども、その成功、不成功、その実績をそれぞれお答えいただきたいと思うのです。
それはペンシルロケットという本当に小さな、手の指に乗るようなロケットを打ち上げるところから始めて、見る見る追いついたという経歴があります。それは実際には大型も打ち上げなければならぬけれども、研究開発費の差というのはもう大変なものだ、日本の場合には。ロケットでは日本式のやり方は少なくとも成功したのです。